福嶋亮大 PLANETS/第二次惑星開発委員会 2018年12月17日
読書日:2019年3月10日
ウルトラマン・シリーズというTV番組の存在を、戦前から続く特撮やアニメのサブカルチャーの歴史に位置づける作業を行ったもの。著者は1981年生まれで、ウルトラマン・シリーズをリアルタイムで経験していないが、もしかしたらそのことがかえって戦前からの長いスパンで見通すうえで、役に立っているかもしれない、と感じた。
一読して驚くのが、日本のサブカルチャーがいかに戦争の影響を受けているかということである。もちろん、自衛隊という軍隊ではないと言われた軍隊をもつ不思議な構造が、日本のサブカルチャーに影響を与えていることは以前から気が付いていたが、影響はそれ以上だった。
例えば、日本の戦争プロパガンダ映画においては、敵が全く登場しないという、驚くべき特徴があるという。
戦争中に製作された「ハワイ・マレー沖海戦」は、円谷英二が特撮監督を務めたドキュメンタリータッチの戦争映画である。すでに著作権が切れていて、パブリックドメインになっており、ユーチューブ等でも観ることができるので、わしも観てみたが、本当に敵が出てこない。真珠湾攻撃も、ただ爆撃機が山の中腹をかすめるように飛んでいき、真珠湾の艦船を爆撃するが、敵の姿はないのである。敵の様子は、ただただラジオ放送の声を通してのみ、伝えられる。
それは、別に、「ハワイ・マレー沖海戦」だけではなく、例えば「五人の斥候兵」という作品でも、斥候兵が無事に生還するまでの記録となっていて、戦闘シーンなどはないらしい。つまり仲間との関係が中心で、敵は遠景になってしまっている。
なぜ敵が出てこないのか、と外国人ジャーナリストに聞かれた、ハワイ・マレー沖海戦の山本嘉次郎監督は「そんなこと考えもしなかった」と答えている。
それは戦後のサブカルチャーも受け継いでおり、なんとなく敵が希薄な状態が続いており、正体不明の使徒と戦うエヴァンゲリオンにも受け継がれているという。例外はわずかで、機動戦士ガンダムはその例外となっている、という。
そう言われてみればその通りで、ウルトラマンにしても怪獣は敵ではあるが、火力発電所やコンビナートを襲う災害の象徴と言った趣なので、納得である。これが戦争ドキュメンタリーの影響なのか、そもそも日本人の思考回路の特徴なのかはもう少し考えてみたいところではある。
本書は参考文献のリストが充実していて、そういった意味でも有用である。
★★★★☆