ファンタジーランドの全般的な感想はすでに書いたが、細かいところで、なにーっ!と思ったところがあるので、そこのところを書こうと思う。
ファンタジーの中に「大草原の中の小さな家」ファンタジーというのがあって、何もない大自然の中に包まれて、そこに家を作って生活するのがアメリカ人であるというファンタジーがある。これがファンタジーなのは、実際にこのような経験(西部開拓)をしたのはアメリカ人の一部(当時からほとんどの人は町に住んでいた)で、しかもこのファンタジーはかなり開発が進んで自然を管理できるようになってから急速に広まったからだ。
ソローが書いた有名な本に「ウォールデン 森の生活」というのがある。マサチューセッツ州コンコードのウォールデン池のほとりに小屋を建て、2年間自給自足で暮らしたというノンフィクションで、ベストセラーになり、今でも古典として岩波文庫に入っている。わしもたぶん大学生の頃に読んで、ふむふむこれがアメリカの精神ですかね、などとひとりごちていたものである。出版されたのはしたのは1854年のことで、すでにアメリカは産業が十分発達している時代のことである。
ところが、この本によると、ウォールデン池はソローの実家から歩いてほんの30分ぐらいの所にあり、小屋も自力で建てたのではなく友達に手伝ってもらったという。こうなってくると、何もない自然に包まれた暮らしをしたというよりは、少々不便なところに別荘を建てた、あるいは軽いキャンプをしているのに等しい。自給自足というのも実に疑わしい。なにしろちょっと歩けば、実家になんでもあるのだから。
ちなみに実家は鉛筆工場を経営しており、裕福なので、ソローは生涯職に就いたことすらないのである。つまり、これは何のリスクもない、単なるワイルドライフごっこである。ソローは本当になにもない荒野へ行ってみたこともあるのだそうだ。この時には、恐ろしすぎると、すぐに撤退したそうだ。真面目にウォールデンを読んでいた身には、ショッキングな事実である。
別の絶句した例。
アメリカ人の中には進化論を信じていない人がいるのはよく知られていて、進化論を教えてはいけないという法律がある所もある。そのひとつの地域であるアーカンソー州デイトンで、進化論を教えたということで教師が裁判にかけられた、という話は科学史上非常に有名で、進化論関係の話ではよく出てくる。
ところが、この裁判は最初から町おこしのショーとして企画され、起訴された代理教師のスコープスは、進化論を話す予定だった日は実は病欠していたにもかかわらず、町長に説得されて被告人役を引き受けたという。
町は裁判が始まる前には傍聴席を500席も増築し(うち200席はマスコミ用)、裁判所の周囲に土産店を多数作り、町をあげてひと儲けしようともくろんでいたのである。
科学史上、非常に重要な裁判が、これほどまでにエンターテイメント化されていたことに、かなり驚いてしまいました。いや、裁判がアメリカではショーのひとつであることは理解していますが、でもねえ。。。