ベンジャミン・ウォレス 訳・小林啓倫 河出書房新社 2025.9.20
読書日:2026.2.21
ジャーナリストのウォレスが、ビットコインを作って偽名のまま消息を断ったサトシ・ナカモトの問題に取り憑かれ、仕事を辞めてまでサトシが誰かを探した結果を述べた本。
最初に結論を言っておくと、ウォレスはサトシ・ナカモトが誰だったかの特定はできなかった。
というか、そもそもこれは不可能なのである。なぜならば、その人物がサトシであることを証明するには、その人物がサトシの秘密鍵を使って何らかのビットコインの操作をしてみせること以外にないからである。例えば、1サトシ(=0.00000001 BTC)だけビットコインを移すとか、そういう操作である。それ以外の方法では、たとえ99%本物と言うことはできても、絶対に100%にならないのだ。
そして次の場合、永久にサトシが見つからない。ひとつはサトシがすでに亡くなっている場合。もうひとつは、サトシが自分の秘密鍵を廃棄してしまった(あるいはなくしてしまった)場合である。
というわけで、サトシが誰かは完全には特定できないのだが、逆にいうと、誰かが自分がサトシだと名乗ったとしても、完全に否定することも難しくなる。なぜならサトシの秘密鍵を使わない、使えない言い訳はいくらでもできるからだ。
実際、2016年クレイグ・ライトという人物が、自分こそはサトシだと名乗り出た。そしてビットコインのプログラムの管理をしていたギャビン・アンドリーセンの前で、サトシの秘密鍵で操作しているかのように見せかけて、自分をサトシと信じさせることに成功している。
このときは公開の場ではなかったので、サトシだと信じ込んだギャビンは、公開の場で秘密鍵で署名してくれとライトに頼んだ。ビットコインにはメッセージを残す機能もあり、秘密鍵でメッセージに署名すれば誰もがサトシの公開鍵でそれを見ることができ、実際にサトシであることが誰にでも確認できるからだ。だが、ライトはいろいろ言い訳して、結局それをしなかった。
当然、ライトのことを偽物だと多くの者が判断した。しかし、一方では、彼を本物のサトシと信じるものが多数現れ、ライトはサトシを演じることがビジネスになった。彼の妻すらも信じていたくらいだ。
ライトの場合は最終的には裁判になってしまった。裁判になると、ライトは自分がサトシであることを証明しなくてはいけなくなる。もちろん、証明はできず、2024年に裁判所からサトシではないと判断された。それ以降、ライトは法的にはサトシとは名乗れなくなり、ライトの影響力は大きく低下したのである。
ジャーナリストの著者ウォレスがビットコインと出会ったのはその黎明期の取材だった。やがてサトシが誰かという、サトシ問題に取り憑かれるようになる。2022年にはついに仕事も辞めて、サトシが誰かを特定するプロジェクトに専念するようになる。
彼が武器としたのは、スタイロメトリーという文体の癖を比較する技術だ。サトシは暗号関係のメーリングリストに多数の文章を残しているし、サトシと直接やり取りした個人のメールも多くが公開されている。それ以上に、サトシが書いたビットコインのC++のソースコードがある。ウォレスによれば、ソースコードの方が普通の文章よりも個人の個性が出るのだそうだ。
彼がスタイロメトリーで比較したのは、1990年代に暗号関係の技術に関わった人たちだ。とくに政府や大企業に対抗して暗号で個人を守ろうという思想を持ったサイファーパンク(Cypherpunk=cipher(暗号)+cyberpunk(反体制的SF文化))と呼ばれるグループだ。
彼らは少人数のグループで、ハル・フィニー、ニック・サボ、ウェイ・ダイ、アダム・バックという人たちだ。このサイファーパンクの文化からビットコインが生まれたのである。彼らはサトシと直接やり取りをして、ビットコインの誕生に関わっている。
実は、このグループの誰かがサトシなのではないかと疑われ、みんな嫌になるくらい「あなたはサトシですか」と訊かれている。そして全員が違うと言っている。
わしはサトシが誰かということより、このサイファーパンクのメンバーについて詳しく語られている部分が一番興味深かった。なんというか独特のコミュニティ感があって、なかなか好ましい。
しかし、サトシは、このサイファーパンクのメンバー以外の思いもかけないところに潜んでいる可能性もある。
ウォレスはジャーナリストでプログラマーではないが、プログラミングを学んで、自らインターネット上のサトシに関係ありそうな情報を自動的に集めるプログラムを作って、そこから浮かび上がった人たちにインタビューをしている。中には3分間話すだけのために、オーストラリアの田舎に出向いたりもしている。もちろん、全員からサトシと違うと言われてしまう。
ウォレスの探索は、結局、1周回って、もとに戻ってしまう。彼は、誰がサトシだったら最高の結末になるか、という観点から、サイファーパンクのひとり、ハル・フィニーがそれにふさわしいと考えるのだ。これは多くの人がそう考えているという点で、新味に欠ける結論ではある。
ハル・フィニーは本当に善意のひとで、サトシから最初のビットコインを受け取った人物でもある。そして、ALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症して、2014年に亡くなっている。ハル・フィニーがサトシだと都合のいいことは、彼がすでに亡くなっているからでもある。サトシ・ナカモトがいまも表に現れない理由として納得できる。
そしてもうひとつ奇妙な事実がある。実はサトシ・ナカモトという名前の人物が、ハル・フィニーの近く(数キロ以内)に住んでいたのである。彼は通称、ドリアン・ナカモトと呼ばれている(本名:Dorian Prentice Satoshi Nakamoto)。そうであるなら、ハル・フィニーが何らかの偶然でその名前を知り、名前を借りた可能性はないとは言えなさそうだ。ハル・フィニーがサトシと信じられている理由のひとつがこれだ。
ドリアン・ナカモトはニューズウィークの取材でサトシ本人ではないかと大騒ぎになったとき、サトシが、長い沈黙を破って、「私はドリアン・ナカモトではない」というメッセージを発した。これがサトシの最後のメッセージになっている。ハル・フィニーが近所のドリアンに悪いことをしたと思って最後のメッセージを出したのだとすれば、納得できてしまう。
こうしてこの本は、ウォレスが、ハル・フィニーの死体が保管されているアリゾナ州のクライオニクス施設(冷凍保管所)を訪ねて終わるのである。
ところで、ビットコインによってサイファーパンクたちの、政府に頼らない通貨の創出という夢はかなったのだろうか。
実際には、日常の通貨として、ビットコインは法定通貨の代わりにはなっていない。しかし、希少性の創出には成功し、資産としての価値は得られた。しかし、これはサイファーパンクたちの願った通りのものではないのは明らかだ。
おそらく、サイファーパンクたちは、通貨とはなにかという理解の点で間違っていたのだと思う。なぜ法定通貨が通貨として流通しているかと言えば、MMT(現代貨幣理論)の言う通り、税金を法定通貨でしか払えないからだ。通貨はどんな資産の形にでも変えられるが、税金を払う段階になったら、法定通貨にせざるを得ない。そうすると、法定通貨がおおもとの通貨にならざるを得えないのだ。(例外は法定通貨にビットコインを指定しているエルサルバドルだが、本当に機能しているのか?)。
つまり、いまのところ、通貨を国家と分離することは不可能で、ビットコインは「デジタル貴金属」という立場を超えることはできないだろう。しかしたとえ貴金属の変わりだとしても、デジタルという形でそれを実現したということはやっぱり画期的だよね。いまさらだけど、デジタルで希少性を作り出せたことに本当に驚く。
(MMTの参考)
★★★★☆

