ヘタレ投資家ヘタレイヤンの読書録

個人投資家目線の読書録

サトシ・ナカモトはだれだ? 世界を変えたビットコイン

ベンジャミン・ウォレス 訳・小林啓倫 河出書房新社 2025.9.20
読書日:2026.2.21

ジャーナリストのウォレスが、ビットコインを作って偽名のまま消息を断ったサトシ・ナカモトの問題に取り憑かれ、仕事を辞めてまでサトシが誰かを探した結果を述べた本。

最初に結論を言っておくと、ウォレスはサトシ・ナカモトが誰だったかの特定はできなかった。

というか、そもそもこれは不可能なのである。なぜならば、その人物がサトシであることを証明するには、その人物がサトシの秘密鍵を使って何らかのビットコインの操作をしてみせること以外にないからである。例えば、1サトシ(=0.00000001 BTC)だけビットコインを移すとか、そういう操作である。それ以外の方法では、たとえ99%本物と言うことはできても、絶対に100%にならないのだ。

そして次の場合、永久にサトシが見つからない。ひとつはサトシがすでに亡くなっている場合。もうひとつは、サトシが自分の秘密鍵を廃棄してしまった(あるいはなくしてしまった)場合である。

というわけで、サトシが誰かは完全には特定できないのだが、逆にいうと、誰かが自分がサトシだと名乗ったとしても、完全に否定することも難しくなる。なぜならサトシの秘密鍵を使わない、使えない言い訳はいくらでもできるからだ。

実際、2016年クレイグ・ライトという人物が、自分こそはサトシだと名乗り出た。そしてビットコインのプログラムの管理をしていたギャビン・アンドリーセンの前で、サトシの秘密鍵で操作しているかのように見せかけて、自分をサトシと信じさせることに成功している。

このときは公開の場ではなかったので、サトシだと信じ込んだギャビンは、公開の場で秘密鍵で署名してくれとライトに頼んだ。ビットコインにはメッセージを残す機能もあり、秘密鍵でメッセージに署名すれば誰もがサトシの公開鍵でそれを見ることができ、実際にサトシであることが誰にでも確認できるからだ。だが、ライトはいろいろ言い訳して、結局それをしなかった。

当然、ライトのことを偽物だと多くの者が判断した。しかし、一方では、彼を本物のサトシと信じるものが多数現れ、ライトはサトシを演じることがビジネスになった。彼の妻すらも信じていたくらいだ。

ライトの場合は最終的には裁判になってしまった。裁判になると、ライトは自分がサトシであることを証明しなくてはいけなくなる。もちろん、証明はできず、2024年に裁判所からサトシではないと判断された。それ以降、ライトは法的にはサトシとは名乗れなくなり、ライトの影響力は大きく低下したのである。

ジャーナリストの著者ウォレスがビットコインと出会ったのはその黎明期の取材だった。やがてサトシが誰かという、サトシ問題に取り憑かれるようになる。2022年にはついに仕事も辞めて、サトシが誰かを特定するプロジェクトに専念するようになる。

彼が武器としたのは、スタイロメトリーという文体の癖を比較する技術だ。サトシは暗号関係のメーリングリストに多数の文章を残しているし、サトシと直接やり取りした個人のメールも多くが公開されている。それ以上に、サトシが書いたビットコインのC++のソースコードがある。ウォレスによれば、ソースコードの方が普通の文章よりも個人の個性が出るのだそうだ。

彼がスタイロメトリーで比較したのは、1990年代に暗号関係の技術に関わった人たちだ。とくに政府や大企業に対抗して暗号で個人を守ろうという思想を持ったサイファーパンク(Cypherpunk=cipher(暗号)+cyberpunk(反体制的SF文化))と呼ばれるグループだ。

彼らは少人数のグループで、ハル・フィニー、ニック・サボ、ウェイ・ダイ、アダム・バックという人たちだ。このサイファーパンクの文化からビットコインが生まれたのである。彼らはサトシと直接やり取りをして、ビットコインの誕生に関わっている。

実は、このグループの誰かがサトシなのではないかと疑われ、みんな嫌になるくらい「あなたはサトシですか」と訊かれている。そして全員が違うと言っている。

わしはサトシが誰かということより、このサイファーパンクのメンバーについて詳しく語られている部分が一番興味深かった。なんというか独特のコミュニティ感があって、なかなか好ましい。

しかし、サトシは、このサイファーパンクのメンバー以外の思いもかけないところに潜んでいる可能性もある。

ウォレスはジャーナリストでプログラマーではないが、プログラミングを学んで、自らインターネット上のサトシに関係ありそうな情報を自動的に集めるプログラムを作って、そこから浮かび上がった人たちにインタビューをしている。中には3分間話すだけのために、オーストラリアの田舎に出向いたりもしている。もちろん、全員からサトシと違うと言われてしまう。

ウォレスの探索は、結局、1周回って、もとに戻ってしまう。彼は、誰がサトシだったら最高の結末になるか、という観点から、サイファーパンクのひとり、ハル・フィニーがそれにふさわしいと考えるのだ。これは多くの人がそう考えているという点で、新味に欠ける結論ではある。

ハル・フィニーは本当に善意のひとで、サトシから最初のビットコインを受け取った人物でもある。そして、ALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症して、2014年に亡くなっている。ハル・フィニーがサトシだと都合のいいことは、彼がすでに亡くなっているからでもある。サトシ・ナカモトがいまも表に現れない理由として納得できる。

そしてもうひとつ奇妙な事実がある。実はサトシ・ナカモトという名前の人物が、ハル・フィニーの近く(数キロ以内)に住んでいたのである。彼は通称、ドリアン・ナカモトと呼ばれている(本名:Dorian Prentice Satoshi Nakamoto)。そうであるなら、ハル・フィニーが何らかの偶然でその名前を知り、名前を借りた可能性はないとは言えなさそうだ。ハル・フィニーがサトシと信じられている理由のひとつがこれだ。

ドリアン・ナカモトはニューズウィークの取材でサトシ本人ではないかと大騒ぎになったとき、サトシが、長い沈黙を破って、「私はドリアン・ナカモトではない」というメッセージを発した。これがサトシの最後のメッセージになっている。ハル・フィニーが近所のドリアンに悪いことをしたと思って最後のメッセージを出したのだとすれば、納得できてしまう。

こうしてこの本は、ウォレスが、ハル・フィニーの死体が保管されているアリゾナ州のクライオニクス施設(冷凍保管所)を訪ねて終わるのである。

ところで、ビットコインによってサイファーパンクたちの、政府に頼らない通貨の創出という夢はかなったのだろうか。

実際には、日常の通貨として、ビットコインは法定通貨の代わりにはなっていない。しかし、希少性の創出には成功し、資産としての価値は得られた。しかし、これはサイファーパンクたちの願った通りのものではないのは明らかだ。

おそらく、サイファーパンクたちは、通貨とはなにかという理解の点で間違っていたのだと思う。なぜ法定通貨が通貨として流通しているかと言えば、MMT(現代貨幣理論)の言う通り、税金を法定通貨でしか払えないからだ。通貨はどんな資産の形にでも変えられるが、税金を払う段階になったら、法定通貨にせざるを得ない。そうすると、法定通貨がおおもとの通貨にならざるを得えないのだ。(例外は法定通貨にビットコインを指定しているエルサルバドルだが、本当に機能しているのか?)。

つまり、いまのところ、通貨を国家と分離することは不可能で、ビットコインは「デジタル貴金属」という立場を超えることはできないだろう。しかしたとえ貴金属の変わりだとしても、デジタルという形でそれを実現したということはやっぱり画期的だよね。いまさらだけど、デジタルで希少性を作り出せたことに本当に驚く。

(MMTの参考)

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★★★★☆

言語化するための小説思考

小川哲(さとし) 講談社 2025.10.21
読書日:2026.2.9

SF作家の小川哲が、自分が小説を書いているときにどんなふうに思考しているのかを述べた本。

わしはあまり小説は読まないのだが、芸術家がどんなふうに発想しているのかということには興味がある。その点について、おおいに語ってくれるのは小説家か建築家ではないだろうか。

建築家が自分の意見を述べてくれるのは、たぶんプレゼンをしなくてはいけないからだろう。依頼人に説明するために自分の発想を言語化する必要がある。

一方、小説家はそもそも物語を言語化するのが仕事だから、言語化の専門家なので、その仕事の手法を言語で述べてくれることが多く、助かる。

というわけで、この本もさっそく予約した。

ここで告白すると、わしは、じつは、小川哲さんの小説は一冊も読んだことがない(苦笑)。小川哲さんは常に読まなければいけないリストに入っているのだが、わしはもともと小説をほとんど読まない人なので、常に後回しになってしまうのだ。まあ、いつかは読むだろうから許してね。

というわけで読み始めたのだが、読んでいて困惑した。ほとんどの内容は、これって当たり前じゃね?という内容だったから。

たとえば「伏線」の話がある。小川さんは伏線という発想が嫌いなんだそうだ。なぜなら、小説というものの本質が、「展開を暗示して、意外な展開に対する違和感を減少させる」ように読者に与える情報をコントロールする技術だからだ。つまり、小説って全体として伏線の塊で、わざわざ伏線回収というのはおかしいというのだ。

これはわしも思っているので、小川さんに賛成なのだ。というわけでこの本のかなりのことに、そりゃそうだよね、と賛成できるのだ。

しかし、小川さんはわしが分からなかったある創作方法について語ってくれたので、これは大いに参考になった。驚いたことに、小川さんはプロットなし、テーマなしで小説を書き始めるのだという。

そういうふうに作る人がいることは知っていたが、一体どうやっているのかさっぱり分からなかった。全体の構想を練っておかずに、どうやって読者に情報を与える順番を計算できるのだろうか。しかし、小川さんの方法を読んで、なるほどと思ったのである。

小川さんのやり方はこうだ。

とりあえず、自分が書いておきたいなあ、という時代や人物について書き出す。それは明治時代の地方の風景だったり、古代ギリシャだったり、いろいろである。

そうやって書いていくうちに大抵は困ったことになる。辻褄が合わなかったり、実際には存在しないものを書いてしまったりする。普通そういうところは消したり、書き直したりするだろう。

しかし、その困ったところこそ、次の話の展開になるのだというのだ。辻褄が合わないところを説明したり、現実にはないそれがなぜあるのかを説明する必要が生じるからだ。そしてそこにテーマが浮かび上がるのだという。

このように書きながら次の展開をさぐるような作風の場合、作者自身にも次の展開は予想がつかない。しかし、次の展開のヒントは、必ず今まで自分が書いた文章の中にあるのだというのだ。つまり、伏線を張るのではなく、伏線を発見するという創作方法なのである。

こういった創作方法の場合、最終的に行き詰まってしまう可能性もあるだろう。きっと小川さんの場合、それを乗り越える強引な知力があるということなのだろう。

しかし、よく考えてみれば、こういう創作方法はけっこう普通にあるように思えてきた。ひとつは連載ものの場合だ。週刊漫画の場合、次の週の展開が気になるように、今週の物語を終える必要がある。普通は、毎回、主人公が困った状況にして終える。このとき、次の展開を考えている場合もあるだろうが、しかし、なにも考えずに、とにかく登場人物を思いっきり追い込むことだけを考える人もいるのだ。

ジョジョ・シリーズを描いている荒木飛呂彦さんがそうで、毎回続きをどうするかは考えないのだそうだ。続きは描きあげてから考える。それが長く連載を続けるコツなんだそうだ。

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そうすると、わしには理解できないだけで、こういう創作手法はけっこう普通にあるということなのだろう。というか、長期連載の漫画では普通のことなのかもしれない。

黒澤明も最初は全体を構想してから書く作風だったのに、ある時から失敗する危険を犯しても、偶然に頼る脚本手法に変えていったというから。自分でもどうなるか分からないこのような創作方法は、もしかしたら書くのは楽しいのかもしれないな。

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一方、ネタをすべて準備してから書くスタイルの作家の場合、書く楽しみは、映画における編集の楽しみに近いのかもしれないね。ミステリーの場合はこっちのほうが多いような気がする。

★★★★☆

世界史の食べ歩き方

陶山健人(すやまけんと) クロスメディア・パブリッシング 2026.2.1
読書日:2026.2.8

限界国境系ユーチューバーとして、人があまり行かない土地と食を紹介する「SU(すー)さん」こと陶山健人が、訪れた各地の食を中心にまとめた本。(なので、本では移動経過などは述べられていない。そのへんは本に記載のリンク先の動画参照)。

わしはSUさんのユーチューブチャンネル「SU channe」を愛用しているので、この本は図書館ではなくて自腹で購入。たぶんこの後、友人たちと回し読みして、地元の図書館に寄付する予定です。

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わしがSU channelにはまったのは、中国の地方都市の動画。この本でもまっさきに取り上げられている重慶の動画がそれだ。このころはまだ中国の地方都市は世間ではほとんど取り上げられていなかった。そこに、SUさんの動画で、中国地方都市のぶっ飛んだ発展に目を見張らされたのだ。

地方都市と言っても東京首都圏の人口を上回っている地域が多数あり、しかも共産主義で土地の収用はほとんど紙切れ一枚で可能なのだから、地方の共産党支部やディベロッパーが争うようにぶっ飛んだインフラ整備を行っているのである。

その中には失敗してゴーストタウンになっているものもあるのだが、しかし、大成功しているものもたくさんあるのである。中国人がバブルに浮かれて整備したたくさんの建造物を見ていただきたい。ともかくスケールがでかすぎる。

本で紹介されている重慶のモノレールがマンションに突っ込む動画も素晴らしいのだが、四川省の成都にある世界一大きなビルディング(成都新世界環境中心というショッピングモール)というのもすごかった。東京ドーム36個分の巨大なビルで、そのビルの中にホテルがそのまま入っている。ホテルの構造は室内プールの周りに部屋が作られているというもので、窓から見えるのはその室内プールだけというとんでもない設計。発想のばかばかしさに笑った。こんな巨大なのだから、もし破産しても撤去するのも難しそう。

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中国関係では地方の少数民族の話題も充実している。有名な観光地も面白かったが、一番興味深かったのは最南端のタイに接している町シーサパンナかな。住んでるのはタイ民族で、中国なのに中身はほとんどタイという不思議な町。中国人にとっては国内旅行で行けるタイである。それならもうタイに行けよと思うんだけど、それなりに需要があるらしいのが面白い。(本では写真だけ載っている)。たくさんの少数民族は、それだけで中国の観光資源として素晴らしいと思った。

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限界国境系としては各種の国境を訪れているのだけど、このシリーズはとても人気があるらしい。わしは特に国境にロマンを感じないのだけれど、年齢高めのひとに人気があるのだそうだ。満州里などの国境の話も面白かったが(特にマトリョーシカの形のホテル)、中国南部の国境が入り乱れているところの報告も面白かった。

SUさんは各地の地元料理を食べることにこだわっているのだけれど、もう一つこだわっているのはファーストフード。かならず各地のマックを訪れて、比較しているのが素晴らしい。ビッグマック指数という言葉もあるくらい、マックのサービスを各国で比べると、いろいろ見えてくるものがある。中国で、スシロー、サイゼリアなどの日系のレストランチェーンが中国でいかに躍進しているかも、SUさんに教えてもらった。(彼の食べ物への執着は強く、ときどきライブを覗くけど、食べ物の話題がやっぱり多いみたい)。

SUさんは、ニコチン中毒者なので、各空港や飲食店ではタバコが吸えるかどうかの報告が必ずある(笑)。これはモクモク情報と呼ばれている。また、依存症というほどではないけれど、各地にカジノがあると、頻繁に訪れて、結果を報告してくれる。とくに韓国に行くとカジノ率は高くなるみたい。まあ、カジノはほどほどにしてください。

今後も健康に気をつけて、「目のつけどころがSUさん」と言えるような動画を発表し続けてくれるようお願いします。あまりに飛行機に乗りすぎて、すでに飛行機にうんざりしているようだけど、たぶんそれに耐えられるような面白いところがまだまだあるはず。期待しています。

★★★★☆

1%の革命 ビジネス・暮らし・民主主義をアップデートする未来戦略

安野貴博 文藝春秋 2025.2.10
読書日:2026.2.9

2026年2月8日の衆議院選挙で「チームみらい」を率いて11議席を得た安野貴博が、東京都知事選挙に出馬して約1%の議席を得て注目を浴びた頃に出した、テクノロジーと民主主義を結びつける構想を述べた本。

安野貴博ってSF作家なんだそうだ。知らないなあ、と思っていたら、わしは読んでおりました(苦笑)。申し訳ありません。

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でも、この小説はSFというよりは、現代テクノロジーの延長上にあるごく近未来の話で、まあSFと言えばSFなんだけど、どちらかと言うとAIテクノロジー✕ミステリーと言った感じでございました。そういう意味では、現代テクノロジーがどのようにわしらをアップデートできるのかという観点で書かれた本書と地続きと言え、安野さんの関心はずっと同じところにあるのだということがわかります。

ちなみに安野さんはAIの専門家で、関連スタートアップを2つも起業していているという方です。しかし、ビジネスで成功することを目指しているわけではなくて、テクノロジーで世の中を変えていくことに興味があるわけです。

そういう意味では、台湾のオードリー・タンと極めてよく似ている立ち位置にあります。オードリー・タンもすでにお金は十分稼いでいて、いまでは多様性を確保した社会、プルラリティを推進していこうとしています。プルラリティの中でもオードリーは安野さんの動きについて言及されていますし、安野さんも本書でオードリー・タンについて言及しています。

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この1%の意味なんですが、安野さんが都知事選に投票日の1ヶ月前に出馬して得票した数字が15万票で都民の人口のほぼ1%だったということもあるのですが、いろんな1%の意味も含んでいます。そのなかで重要なのは、1%新しいところにお金を向けるだけで、それが将来大きな違いを生む、という考え方です。

安野さんが提唱している東京都の政策は、全部合わせても500億円ほどだそうです。500億円は東京都の年間予算6兆5000億円の1%弱に当たります。この1%は将来大きくなる分野に投じることで、投じた予算の何倍、何10倍、何100倍ものレバリッジを効かせた結果を生む、という考え方なのです。つまり、これは投資と同じで、明治の人が教育制度を作って学校を全国に作り、日本を変えたように、そのような社会への投資が重要だということです。

では、そのお金をどのように使えば社会を変えていく方向に向けられるのか。税金を民間企業に直接投資しようという話、ではありません。そうではなくて、例えば、テクノロジーで大幅に効率をアップできるテーマを設定し、民間企業に開発を募集して、実際に東京都がそれを買って使うというふうな形で企業を支援する、といった感じです。これはアメリカの国防高等研究計画局(DARPA)がやっているようなテクノロジーを牽引する方法です。このようなテクノロジーが生まれると、それは民間に広がって大いに活用されるでしょう。そして、社会の効率がアップするというわけです。

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民主主義のアップデートにもテクノロジーは使えると主張しています。民主主義の問題のひとつは、規模が大きくなると、一人ひとりが意思決定に関わることが不可能だということです。ほとんどの人は選挙のときに投票という行動ができるだけで、都で行われている議論のひとつひとつに関与することはできませんし、そもそも不可能です。このギャップをテクノロジーで乗り越えていこうとするのは非常に有効でしょう。

具体的には、AIにネット上にある人々の意見を自動的に吸い上げて要約させる、という技術です。これを「ブロードリスニング」と安野さんのチームは呼んでいます。

こうしたテクノロジーを使えば、かなり民意をつかむことは可能でしょう。しかし、民主主義のもうひとつの役割、よく話し合って合意を得る熟議というプロセスはどうしたらいいのでしょうか。安野さんは自らの経験、GitHubを使ったマニュフェスト構築を例にして、とにかく100%の参加は無理でも1%参加できる技術を導入するということのようです。そして、合意にもAIの要約の力を活用するということのようです。

安野さんの目指す世界線は、1%が100個集まった世界だそうです。どの1%も取りこぼさない社会です。

わしも民主主義のアップデートにはテクノロジーが不可欠だと思っています。そして、今はまだ実現していませんが、テクノロジーはすでにその力を持っていると思っています。わしにはまだそのような社会はぼんやりとしか見えていませんが、すでにそれが見えている多くの人が世の中にはいるように思います。

数年後が楽しみです。

★★★★★

戦前 エキセントリックウーマン列伝

平山亜佐子 左右社 2025.7.30
読書日:2026.2.2

明治、大正、昭和のはじめにかけて、世間を騒がせた、あるいは世間の注目を浴びた女性を20人紹介した本。

平山さんはデザイン事務所に入ってデザインをしていたんだけど、いつの間にか破天荒な女性の本を出す専門家になってしまったらしい。本書と同じような本をたくさん出している。そして、どうやらこの手のネタに困らないらしいのだ。たぶん、世の中のメディアはいつの時代も破天荒な女性を受けるネタとして扱うのが得意なのだろう。こうして、いろいろな女性が話題に上がり、ある女性を調べると芋づる式にいろんな女性の人生が目に入ってくるようだ。

いろんなタイプの女性が紹介されているのだけれど、美貌系で注目を集めたひとは今見てもやっぱり美しいと思ったな。ドーリー(人形)と呼ばれたバロン薩摩こと薩摩治郎八(さつまじろはち)の妻、薩摩千代はヨーロッパの美人コンテストに入賞するくらいの美人で、写真をみるとへーと思ってしまう。しかし彼女はバロン薩摩の作品と呼べる女性で、彼女自身の意志はほとんど感じられない。

それに比べれば同じ美貌系でも、バイオリニストの諏訪根自子(すわねじこ)は美貌と才能を兼ね備えた人物で、意志も強く、歴史の荒波を自力で乗り越えてきたという点で興味をよりひく。プロマイドの売れ行きが抜群だった諏訪根自子はヨーロッパへ行くと、自分の意志で日本に帰ってこずにヨーロッパで活躍し、ナチスのゲッペルスから伝説のバイオリン、ストラディヴァリウスを贈呈されたりしている。亡くなられたのは2012年(92歳)ということだから、つい最近までご存命だったのですね。

わしが一番面白いと思ったのは、「シベリアお菊」と呼ばれた出上キク(いでがみきく)ですね。山口県で1878年に貧しい漁村に生まれて、17歳で大陸に渡り、シベリアへ。娼館を兼ねた旅館などで荒稼ぎをする。しかし、シベリア出兵した日本軍に情報収集を頼まれると、私財を投じてスパイ活動を行い、日本軍に協力、感謝状までもらう。日本軍がシベリアから撤退すると、キクの運命も下り坂になり、アヘンと酒に溺れて亡くなるが、最期まで感謝状は肌身離さず持っていたそうだ。なんかこの人生は石光真清の人生を彷彿とさせるなあ。

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20人の中で、人生の最期を穏やかに過ごせた人はあまりいない感じ。正直、その厳しい人生に、読んでいると切ない気分になることも多かったです。

平山さんには今後とも破天荒な女性を発掘していただきたい。

★★★★☆

映画「The Valley of Light(光の谷)」を観てアメリカ人の感覚について思ったこと

Tiktokで「The Valley of Light(2007)」という映画が紹介されていて、興味を持った。

調べてみると、その映画の全編がYouTubeにアップロードされていて、観始めたら結局全部見てしまった。第2次世界大戦直後の1946年のノースカロライナ州の地方を舞台にしていて、なんというかその時代の地方のアメリカ人の端正な生活というか、礼儀正しい所作とかが印象的で、それで最後まで観てしまったのだ。昔のよきアメリカ人の物語といった感じ。

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ところが、どうもラストの展開が納得できない。

じつは1回目は字幕なしに観ていた。英語が得意じゃないわしでも、画面を観ているだけでなんとなく展開がわかるから、気にせずに観ていたのだが、どうもそれでは最後の展開が分からないのだ。

そこで、今度は字幕をつけて観たのだ。当然、何を言っているのかは分かる。驚いたことに、字幕を付けても、理解できなかった。それで、わしは考え込んでしまったのである。

お話を簡単に説明すると次のようだ。

第2次世界大戦が終わって、従軍していたノアが故郷に帰ってくる。しかしすでに両親は亡くなっていて、生まれ育った家には別の家族が住んでいる。故郷には居場所がないから、彼は自分が居てもいい場所を求めて、釣りをしながら川から川への旅に出る。

旅に出て一年ほど経ったとき、ノアはホークという老釣り師と出会う。二人は一緒に釣りをして別れるが、ホークはこんなことをいう。尾根の向こうに光の谷という土地がある。そこにはいい人たちが住んでいる。そして、そこに小さな池があり、皆は魚がいないというが、じつは池の主のようなバスがいて自分は一度釣り上げたがリリースした。いまではもっと大きくなっているはずだから、そのバスを釣り上げて私のことを伝えてほしい、と。

そこでノアが尾根を超えると、言われたとおり池があり、その岸辺でノアは巨大なバスが空中に飛び上がるのを見る。ノアは、また会おう、とそのバスに言う。

光の谷の住人は本当にいい人ばかりで、放浪者のノアを受け入れてくれる。とくにマシューという口のきけない男の子と、エレノアという若い未亡人と親しくなる。ノアとエレノアは少しずつ惹かれ合っていく。(ちなみにノアは28歳、エレノアは4歳年上の32歳という設定)。

光の谷の人たちと交流を深めるノア。しかし、マシューがひとりで釣りをしていて溺れて死んだとき、ノアは光の谷を離れる決心をする。最後に池の主のバスを釣り上げ、ホークとの約束も果たす。ノアがここにいたのはたった二週間だった。

光の谷から乗り合いバスに乗ると、リトルベリーという釣り師から声をかけられ、ホークの話になる。その釣り師によると、ホークは5年前に亡くなったというのだ。それを知ったノアは、乗り合いバスを降りて、光の谷にいるエレノアのところに戻るのである。

これで終わりなのだが、分からないのはホークがすでに亡くなっていたと知ったら、なぜノアは戻ることにしたのか、というところである。そのへんがよく分からない。なにしろ、ノアは巨大なバスに挨拶するというホークとの約束だけでなく、エレノアと約束したキャビンの床を直すことも、町の商店で請け負った店の壁のペンキ塗りも仕上げて、すべてをきちんと片付けて光の谷を発ったのである。かなり固い決意で町を出たのだ。ここまでして、戻るということは普通は考えられない。

わしは考え込んでしまった。そして、しばし考えて、わしは自分が大変な思い違いをしていることに気がついたのだ。

問題はノアとホークの会話にある。

ホーク:You just wandering around…or you going somewhere?
 ただあてもなく歩き回ってるのかい? それとも、どこか行き先があるのかい?
ノア:I guess I’m wandering. Just looking for a sign that tells me stop.
 たぶん、さまよってる。“ここで止まれ”って教えてくれるサインを探しているんだ。

ノアのいうサインのことを、わしは、「自分が居てもいいと心から納得できる、腹落ちができる何かがあること」という意味でとらえていたのだ。つまりノアの気持ちベースで考えていたわけだ。

ところがそうではないのである。ここでいうサインは、「神が出すサイン」のことだ。啓示とか、天啓とか、お告げとか、そういう何か宗教的なサインだ。ノアは、「もし自分が正しい場所に着いたら、神が目に見える明確なサインを自分に送ってくれるはずだ」と信じている、ということなのである。

これは、キリスト教のアメリカ的プロテスタント文化の考え方だ。プロテスタントは個人が神と直接つながっていて、とくに福音派は神が個人にサインを通じて介入してくる、という感覚を持っている。ほとんどのアメリカ人はこういう考え方を自然に持っているだろう。だから、平均的なアメリカ人はノアの言うサインを、「神のサイン」と間違いなく受け取るはずだ。

もしもそのようなサインを得たら、ノアはどうするつもりなのだろうか。それは、ノアは自分の気持ちとは関係なく、そのサインの指示に従うということなのだ。たとえそこに居たくなくても、神のサインならそうするということだ。

ここでようやくラストの乗り合いバスのシーンの意味がわかる。釣り師のリトルベリーがノアに、ホークは5年前に死んだ、と告げたあと、ノアの表情を見てこういう。

リトルベリー:You look like you just seen a ghost.
 幽霊を見たような顔をしてるぞ。
ノア:Oh, no sir. I do’nt believe in ghosts. Maybe angels.
 いいえ。幽霊は信じません。天使なら信じます。

つまり、ノアはあのホークは天使だったと考えた。すると、ホークは神の使いで現れたのだ。そして天使のホークが光の谷へ行くようにと言ったということは、それは神の出したサインなのだ。だからノアはバスを降りて、光の谷に戻ったのである。

もちろん、映画なので観ている人と気持ちの乖離があったらうまくいかない。たぶん、ほとんどのアメリカ人は、町を出るというノアの判断は間違っており、彼は光の谷にいるべきだと考えるだろう。だから、神のサインは適切だと考え、神はやはり自分たちをちゃんと見てくれているのだと思い、安心するだろう。そしてそこに感動するのである。これは神が起こしてくれた小さな奇跡なのだ。

わしのように、自分がここにいるべきでないと思ったのなら、ホークが5年前に死んでいようが(そして、たとえ天使であろうが)、出ていったほうがいいんじゃないか、と思うのは、アメリカ人的にはあり得ない発想ということになる。

まあ、なにしろ、わしは神が何もしてくれない神道の国の住人だから、仕方がないよね。というか、やっぱりアメリカ人の考え方が特殊すぎると思うんだけど、違う?

(参考1:神道について)

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(参考2:アメリカ人の精神性について)

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(おまけ)
この映画は脚本が良くできていると思う。わしが感心したところを少しあげていこう。

・故郷に帰ってきたノアには弟がいて、弟は刑務所に入っている。なにか悪いことをしたらしいのだが、弟はこのシーンで少しだけ出てきて、あとは関係ない。では、何のためにこのシーンがあるのか。このあと、ノアは旅をしながら弟に手紙を書くのだ。手紙の中でノアの近況が語られて、ノアの気持ちも語られる。たぶん、弟の存在はこのためだけに必要だったのだと思う。刑務所にいれば弟に付いてこられることもない。

・ノアは釣りをする前に、水に手の指だけを入れる癖がある。水の中にいる魚に水を通して挨拶をしているようだ。こういう独特な仕草を映画に取り入れるかどうかは、ちょっとした判断になるが、うまくいく場合が多いように思える。映画「グラディエイター」の主人公が麦の穂を手のひらでかき分けるというシーンは有名だろう。この癖はノアと魚が霊的につながっていることを表しているのかもしれない。

・何度もいうが、この映画の魅力は、この時代の所作や言葉遣いにあると思う。この時代は帽子を被っている人が多く、帽子を使った所作や、他の人、とくに女性に対する丁寧な言葉遣いは昔風でいいなあと思う。ノアと初めて話すときに町の人が腕をわざと組む所作をするのも面白い。本当に当時の人はこんなふうにやっていたと思えるし、やっていたんだろうな。

・最後に乗り合いバスの中でノアに話しかけるのは町の外から来た釣り師のリトルベリーだ。そのリトルベリーは、光の谷で開かれる釣り大会に参加しに来た。だから帰るために乗り合いバスに乗っていたわけ。実は釣り大会が開かれることは何度も町の人から話される。この釣り大会が開かれなくてはならなかったのは、この乗り合いバスにこの釣り師が乗っていなくてはいけないからだ。ノアはその大会に参加していなかったが(池の主である魚のバスと戦っていた)、他の人から、ノアがいたらノアが優勝していた、と聞かされていたので、乗り合いバスの中にいるノアに気がついたということになっている。この辺ちょっと微妙だけど、全体としてつじつま合わせはなかなかうまくできているなあと思う。このつじつま合わせは徹底していて、「パーティが嫌いだから大会が終わるとすぐに帰るんだ」みたいのことをわざわざリトルベリーに言わせているくらいだ。

・ノースカロライナに黒人がいなかったはずはないのだけど、黒人は一人も出てきません。白人の理想の社会が描かれています。黒人が出てきたら人種問題が想起されてちょっと雰囲気が変わってしまうから、これはこれで正解なのでしょう。

サイコパスから見た世界 「共感能力が欠落した人」がこうして職場を地獄にする

デイヴィッド・ギレスビー 訳・栗木さつき 東洋経済新報社 2025.8.9
読書日:2026.1.28

共感能力の欠けたサイコパスが上司だと職場が崩壊し人生がめちゃくちゃになってしまうので、全力でそこから脱出しなければならず、このようなサイコパスが猛威を振るわないようにするには誠実な気風の会社を作るしかない、と主張する本。

サイコパスは人類の5%を占めるんだそうだ。20人に1人がサイコパスということになるので、誰でも人生のどこかでサイコパスに会っているはずだ。(サイコパスの割合には1〜5%と諸説あるが、かなりの数がいることには間違いない)。

サイコパスの特徴としては、平気で嘘をつき嘘がばれても気にしない、人を操ろうとする、他の人の痛みを理解できない、判断基準は自分の利益になるかどうかだけなので判断が早い、表面上は非常に魅力的(言葉を取り繕うのがうまい)、衝動的、などがある。

サイコパスには単純に共感能力が足りないのだという。人の身になって考えるという能力がないのだ。これには生物学的な理由があって、他人の感情を推察する機能がある内側前頭前皮質が通常より17%小さいのだという。したがって他人の感情を理解できない。さらに内側前頭前皮質には感情に流されずに計画を練るという機能もあるから、その機能がないサイコパスは感情的、衝動的な行動をする。

さらに感情を司る扁桃体と前頭前野や側頭葉前部を結んで報酬体系を形成しているフォン・エコノモ・ニューロンが少ないという。報酬体系が欠損しているから、自分に起きたことを評価して考えや計画を変えるなどということはできない。自分が間違っているかもしれないなどという反省は不可能だから、自分は常に正しく、たとえ周りからそれを指摘されてもそれを認めることはない、というか、そもそもできない。

といった、この辺については類書にも同じようなことが記載されているけれど、この本の素晴らしいのは、サイコパスから見てこの世の中がどのように見えているのかということを具体的に教えてくれることだ。サイコパスは他人の身になって想像することは不可能だが、わしらはサイコパスの身になって考えることができるのだ。

通常、人間の社会は信頼関係によって成り立っている。そのため人間は「しっぺ返し戦略」という方法で周りの人間と付き合っている。その戦略とは、(1)初めて接触したときには無条件で相手のことを信じる、(2)もしも裏切られたら、同じだけやり返す、(3)もし相手が態度を変えたら過去の間違いは忘れる、というものだ。この方法が信頼社会の構築に最も効率的だということが、数々の心理学の実験により分かっている。

このような信頼で結ばれた社会は、サイコパスから見ると、バカの集まりに見えるという。なにしろ、どんな嘘を言っても、相手はまずはそれを受け入れるからだ。そして、嘘がばれそうになっても、なにか適当な言い訳をすれば、かなりの期間、相手の信頼を繋ぎ止めることができる。こうしてサイコパスは、この世の中はお人よしのヒツジの集まりであり、自分はそのヒツジを自由にできる羊飼いだと思っているという。

このようなサイコパスの特性は例えば就職活動の面接時に非常に有利に働く。たとえ経歴に嘘を並べたとしてもほとんどの人はそれを真に受けるし、それについて具体的に質問してもサイコパスは表面的にはとても魅力的な嘘をつくことができるからだ。こうしてまんまと会社の中に入り込むことができる。

さらに、サイコパスは上層部に取り入るのが非常にうまい。サイコパスは平気で心にもないお世辞をいう事ができるし、自分がいかに有能かを臆面もなく説明できるし、他人の功績を自分のものにすることも平気だ。実際にはサイコパスは現場の実務に混乱をもたらし、周りのものが必死でその穴埋めをしている場合もあるが、上層部が現場をきちんと見ていなければ、サイコパスの言い分を信じて、サイコパスが無能な部下の穴埋めをしているように見えてしまう。

こうして、サイコパスが出世すると、その部署は地獄になる。サイコパスは相手をまったく信頼できないので、すべてをチェックしたがる。いわゆるマイクロマネジメントを行うのだ。どんな細かいことも自分でチェックしないと気がすまない。よくそんなことをする時間があると思うかもしれないが、実はサイコパスには時間がたくさんある。なぜなら、サイコパスのあらゆる判断は即断即決だからである。普通の人なら、案件の関係者のことを考えていろいろ熟慮するところを、サイコパスは自分の利益だけを考えて決断するので、決断は簡単なのである。

そして自分の部下をコントロールしようとする。どうでもいいようなところでやり直しを何回も命じたり、その結果仕事が遅れると部下を罵倒したりして、自信をなくすようにしむける。みんなの前と、個別の対面とで違ったことを言い、部下同士が疑心暗鬼になるようにしむけて、お互いの信頼関係を壊す。

特にサイコパスがターゲットにするのは、自分の立場を揺るがしそうな優秀な部下だ。サイコパスはこういう人をなんとしても会社から追い出そうとする。自分の部下は、凡庸なイエスマンで固めたいのだ。そのためには、たとえば、上から言われた仕事をわざとターゲットに少し内容をずらして知らせて、できの悪い文書をかかせて、上からの信頼を落とすようなことをしたりする。ターゲットがサイコパスの攻撃に耐えられなくなって会社を辞めることになっても、会社から推薦状を書いてもらえる可能性はなく、しかも悪い噂を業界で流されることは必至なので、再就職にも苦労して、別の業界や外国へ行かざるを得なくなることもあるという。(注:英語圏の国の話)。

そういうわけで、サイコパスが同僚だとしても迷惑だが、もしもサイコパスが上司になったら最悪である。ぜひとも自分が攻撃のターゲットにならないように努力しなければいけない。そのためには完全服従の体を示し、言われたことは素直にすべて実行し、極力余計なことはしないようにして目立たなくする。そして最も大事なのは、指示されたことをすべて文書で残しておくことだ。サイコパスはあとになって簡単に前言を否定し、あなたのことを無能と決めつけるからだ。ただし相手が違うことを言っても、文書を持ち出して相手を論破してはいけない。怒らせないように、以前と指示が変わったのですね、と確認するだけに留める。そうやって時間を稼ぎながら、この地獄を脱出することに全力をそそぐのである。ここにいてもいいことはなにもないどころか、破滅させられるかもしれないからだ。残念ながら、自分のことを最優先に考えるべきで、同僚を助けるゆとりはない。

特に会社内の風通しが悪く、分断がある場合、そのような状況をサイコパスに付け込まれ、会社が破壊されてしまう。サイコパスは特に深い策略や陰謀を考えて行動しているわけではない。サイコパスはその時々で自分の利益だけを考えて行動しているだけなのだ。しかし、もし自分に有利な状況が現れたとき、その状況を利用することに全く躊躇しないのである。それがたとえ倫理的にどうかと思えるような場合でも。

一方、サイコパスがはびこらない会社を作ることは可能で、会社が上から下まで誠実でオープンな風土を持っていれば、サイコパスは自分の勝手にできず、自分の性質を周りに合わせるか、その会社に居づらくなって自分から去っていくという。

サイコパスが上司になったら最悪だろう。その場合はなんとしてもその状況から脱出しなくてはいけない。しかしサイコパスが国家の大統領だった場合は? 著者は繰り返し、トランプはサイコパスだと断言している。トランプがサイコパスだとしても、国民は別の国にいくわけにもいかない。幸いにして大統領には任期があるから、任期が来ればトランプは辞めるのだけど。

このようにサイコパスは会社を破壊するが、ここでぜひとも考えなくてはいけないのは、サイコパスがなぜこの世に存在し、なくならないのかということだ。これには2つの考え方があるとわしは思う。

ひとつは、サイコパスに有用な場合があるという考え方だ。普通の人が感情に流されて決断できないときも、サイコパスなら容易に決断できる。たとえば、有名な「トロッコ問題」の場合、5人の作業員を助けるために1人を犠牲にするようにポイントを切り替えた方が良いと分かってても、実際に普通の人がポイントを切り替えるのは容易ではないだろう。しかし、サイコパスなら躊躇なくそれができる。つまりサイコパスはそれなりに有用だから、存在を許されているという考え方だ。CEOはサイコパスの比率が高いと言われており、冷酷さはある意味有用なのかもしれない。

もうひとつは、ダーウィンの進化論的に考えて、サイコパスが存在するのはこの世界が極めて健全だからだ、という考え方だ。もしわしらの社会が強い信頼で成り立っているのなら、その性質を逆に利用するグループが現れるのは進化論的に不可避である。もちろん、そのグループが多数派になることはない。信頼が成り立たない世界では、サイコパスの存立基盤もなくなってしまうからだ。つまり、数%のサイコパスが存在することは、この世の中が信頼で機能しているということの証拠であり、それは健全なことなのだ。(そう言われても、サイコパスにいま攻撃されている個人にはなんの慰めにもならないかもしれないが)。

ところで、サイコパスが生きにくい国というのはあるのだろうか。わしは個人的に日本はサイコパスが生きにくい国なんじゃないかと思っているが、どうなんだろう。こんなふうに考えるのは、こいつはサイコパスだなと思った人が、過去2人ぐらいしか思いつかないからなんだが、これは単なる幸運なのかもしれないな。

おまけ:タイレノール(アセトアミノフェン)について)
この本によれば、頭痛薬タイレノールに含まれるアセトアミノフェンは、頭痛のような肉体的な痛みだけでなく、心の痛みも抑える効果があり、例えば仲間はずれにされたというようなときの心の痛みを和らげる働きがあるそうだ。アセトアミノフェンは、フォン・エコノモ・ニューロンの報酬系の機能を低下させるので、サイコパスのように周りがどう思おうと気にならなくなるから、心の痛みが減るということらしい。ようするに、タイレノールを飲むと共感能力が低下する。共感能力の低下は実験により確認されている。

ミシガン大学の研究によればタイレノールが発売された1979年から30年間に、大学生の共感能力が40%低下したそうだ。ほんまかいな。そのとおりだとしても、著者の言う通り、共感能力の低下がタイレノールのせいだというのは、どうかな。相関関係はあるかもしれないが、因果関係は証明不可能じゃないかしら。

とはいえ、そう聞くと、なんかタイレノールを買って実験したくなってきた(笑)。サイコパス気分が味わえるのかしら? ChatGPTによれば、実験にはアセトアミノフェンを1000mg服用させたそうです。

★★★★☆

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