ヘタレ投資家ヘタレイヤンの読書録

個人投資家目線の読書録

なぜ働いていると本が読めなくなるのか

三宅香帆 集英社 2024.4.22
読書日:2024.6.16

仕事を始めると本どころかあらゆる趣味をする時間的余裕がなくなってしまう、という著者が仕事に全身全霊を捧げることを止めるよう主張する本。

読んでいて困ってしまった。

著者はとても真面目な人らしく、就職すると仕事が頭から離れず、時間があってもじっくり本を読むことができなくなり、スマホで動画を見て暮らすようになったんだそうだ。そしてそれをつぶやくと多くの賛同が得られたのがこの本を書くきっかけになっているのだという。

な、なんて真面目な。

なにしろ自分の過去を振り返ってみると、残業はまったくせず、仕事中も仕事していない時間が多かったからなあ。当然、本はたくさん読んでいた。通勤電車でも重たいハードカバーだって持ち歩いてずっと読んでました。いままでで一番重たかったのはアイン・ランドだったかしら。当時は文庫版がなく、分厚いハードカバーを持ち歩くしかなかったから。(わしの仕事ぶりは下記リンク参照)

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著者の三宅さんは本が読めないことに悩んで、3年で仕事を辞めたそうです。そしていま30歳くらいですが、すでに12冊の本を出版しています。半年に1冊は出しているということでしょうか。すごい働き者です。まあ、今の仕事はたくさん本を読む仕事なので、別にいいのかもしれませんが。

というわけで、著者はなんと本が活字で出版されるようになった明治時代にまでさかのぼって、それぞれの時代の読書がどうだったか、出版業界の戦略なんかを調べているのですが、このへんのところはよくお勉強しましたね、という感じです。

明治から1990年代のバブル崩壊までは、細かい違いはあったかもしれませんが、教養や自己啓発といういちおうポジティブな読書なんだそうです。知的な部分で他の人と区別したいとか、出世したいとかの前向きな感情があります。

ところが、著者によれば、バブル崩壊以降、読書は変節してしまうのです。本は単なる情報となり、読書という行為はノイズという位置づけになるというのです。

バブル崩壊以降に何が起きたかと言うと、いろいろ書いてありますが、結局、精神的な余裕がなくなった、ということに尽きるようです。経済的にも余裕がなくなり、自己責任が異常なほど強調され、さらには自己実現もしなければいけない。すべてのことが全身全霊を尽くす方向に向かっていると。ところが、読書というのは役に立つか立たないかなんとも判断できない類のものです。つまり、読書というノイズに含まれている未知の文脈を受け入れる精神的な余裕がなくなったのだそう。

まあ、ものすごく単純にいうと、新自由主義的な、あるいは能力主義的な世の中が、人の精神エネルギーのすべてを搾り取っているということでしょうか。

きっと著者は、バブル崩壊以降にすべてが変わったといいたいのでしょうが、しかしですねえ、それ以前だって、ひとはそんなに読書なんかしなかったんじゃないですかねえ。昔は休暇も少なかっただろうし、いまよりもっと長時間労働が当たり前だったんだから。昔も今も読んでいる人は読んでいる、というだけじゃないかしら。

まあ、余裕を作るには食料と住居は無料になる社会がいいんじゃないでしょうか。いつもこればっかりですが(笑)。

面白いと思った点をいくつか。

戦後の昭和では全集を買うことがやたら流行って、それは棚に飾るためで本人は読まなかったが、その家の子供なんかは結構読んでいたというところ。というのは、わしの父親も百科事典や文学全集や哲学全集とか、やたら全集を買って、全然読んでいませんでしたもの。そのうちのいくつかは、わしがありがたく読ませていただきました。たぶん家族で読んだのは、わしだけ(笑)。

それから、iPadが電子書籍を読むのにいいと書いてあるけど、わしも8インチのタブレット(アマゾンのFireだけど)が読書にいいと思う。わしはスマホで済ますことのほうが多いですが。雑誌なんかは10インチ以上でないとちょっと厳しい。だからわしが持ち歩いているのは、10インチのFireです。なによりFireは安いですからね。

★★★★☆

サブぃカルチャー70年 YouTubeの巻

押井守 東京ニュース通信社 2023.12.26
読書日:2024.6.14

70歳になった押井守がはまったYouTubeのチャンネルについて語り尽くすもの。

押井守はゲームの攻略法を探しにYouTubeの世界へ行ったのだが、そこで多様な番組に惹かれてハマったのだそうだ。

押井守は何かにハマるとそのことに時間を蕩尽するような人で、「Fallout4」というゲームではPCを新しくしてから、気がつくと7000時間をゲームに費やしていたそうだ。それが幸福と思っているような人なので、別にいいのだが、このような人がYouTubeの何かのチャンネルを気にいると、過去にさかのぼってすべてチェックして、その後の更新情報も残らずチェックする。YouTubeにもいったいどれだけ時間を使っているんだ、という感じだ。

押井守がハマる要素には一定の特徴があって、自分の幸福論(価値観)を追求していること、そして伝えるのにきちんと工夫していること、だそうだ。

しかし最近はYouTubeもマスメディア化して、自分の価値観にこだわり視聴者の望む価値を届けていないチャンネルは淘汰されつつある。なので、押井守は急速にYouTubeに関する関心を失いつつあるようだ。

動画投稿の今後は編集するという手間さえ省いて、単純にライブ化して、ご飯を食べたり、歌を歌ったりという親近感だけで少数のフォロワーを相手にするというスナック化が進んでいくのだろうという。そのぶん収益性も厳しくなる方向だ。

まあ、生活していくには厳しいかもしれませんが、収益に関係なく自分の好きなことをYouTubeにアップするのは別にいいんじゃないですかね。わしの!このブログも全然収益にはなっていませんが(広告すらないし)、止めるつもりもありませんし(笑)。

映画監督らしい話としては、テロップが強力なこととか、ハリウッドがYouTubeから新しい才能を発掘していること、などが少し目立ったかな。

日本のネットの特徴では、外国の場合はそれなりに議論の場として成り立っているのに対して、日本は議論の場というよりも暇な下層階級に支えられているんだとか。まあ、そうでしょうね。

以下に押井守がはまったチャンネルを記載しますが、わしはまったく見ておりません。
動画は時間ばかり使って、まとまっていないから苦手。特にTickTok(Liteの方)はお金をくれるからいちおう垂れ流しているけど、何が面白いのかわしには不明です。

****押井守がハマったチャンネル一覧****
・Fラン大学就職チャンネル  
・ナカイドの実写/Fラン友の会
・たっちゃんねる
・ニカタツBLOG
・今日ヤバイ奴に会った
・映画日和
・あおぎり高校
ライブドアニュース ゲーム散歩/よそ見
・RIDE X 三寶 事故警示録
・六丸の工房
・ももじオンライン
・M4ya qq
・NHG:中の人げぇみんぐ
アイザックZ-IsaacZ

 

サーキット・スイッチャー

安野隆弘 早川書房 2022.1.20
読書日:2024.6.7

(ネタバレあり。注意)

2029年、自動運転プログラムを開発する会社の社長の坂本は首都高を走る自動運転車内に拘束される。彼を拘束した男は、坂本の自動運転プログラムがマイノリティの命を軽視していると主張し、それを証明するというのだが……。

どうも最近、日本のSF小説が良くなっている気がする。というわけで、第9回ハヤカワSFコンテストで優秀賞を受賞し、世間の評価(注:アマゾンレビューのこと(笑))もなかなか高いこの本を読んでみることにした。

面白かったんだけど、たぶん、読んだ誰もが思ったのではないか。これってSF?

SFっぽいところは、全自動運転の車が走っていることだけで、それ以外は皆無。いやー、これはミステリーでしょ、やっぱり。

社会的な変化としては、自動運転になってから事故を起こしたら損害賠償はすべて販売した自動車会社が負うことになったこと。まあ、確かに、こういう変化はあり得るだろうけど、これも普通に新聞等に書かれていることですからねえ。

最後にとる坂本社長の解決策は、まあ、これも現代の発想の範囲内。

なんといいましょうか、SFってどこかネジが外れたぶっ飛んだところが欲しいんですよね。常識というカセをぶち壊すといいましょうか。

そういうところはなかったけど、面白いことは面白かったです。特に物語の関係者がテキパキと紹介されていく最初の方は、テンポが良くて、いろんな立場の人が絡んでくる社会派の小説という感じで、久々にこんな感じのものを読んだなあ、と思った。

難を言えば、問題となるようなトロッコ問題(どっちに進んでも犠牲者が発生する場合にどちらを犠牲にするか)の状況って、そんなに頻繁に起こるものなのかしら、というところ。年間、数十人程度なら、プログラムをわざわざ改変するよりも、賠償金を素直に払ったほうが、割はいいんじゃないかしらって気がする。

最後にコンテストの総評が書かれてあって、他の講評者がSFっぽくないところを指摘していて評価が低いんだけど、編集長の評価が最高で、理由は、すぐに出版できるほど完成度が高いこと、だそうです(笑)。

***ストーリー***

自動運転のプログラムを開発する会社サイモン・テクノロジー社の社長で天才プログラマーの坂本善晴は、首都高をぐるぐる回る車に謎の男に拘束される。犯人は首都高の封鎖を要求し、首都高自体を乗っ取る。

犯人はサイモン社のプログラムは、いわゆるトロッコ問題が起きて、どちらかを犠牲にしなければいけないという事故が起きる状況で、マイノリティの人たちを犠牲にするようなアルゴリズムになっていると主張し、そのために自分の家族が犠牲になったという。

確認してみると、オリジナルのプログラムはそんな設定はされていなくて、単純に人数が少ない方を犠牲にするという設定だった。ところが実際に事故のデータを見てみると、確かにマイノリティが犠牲になるような行動をしている。プログラムが改変されているのだ。

改変したのは大手自動車会社マツキ自動車の社長で、損害賠償を減らすために、年収の少なそうな方を犠牲にするというファインチューニングを行っていたのだ。

この事実を公表しても、おそらくフェイクの情報に埋もれてしまい、決定的な解決策にはならない。坂本が取った対策は、自動運転のプログラムをオープンソース化して誰もが自由に使えるようにする、ということだった。

★★★★☆

円安はどこまで進むのか

円安が進んでいる。

わしはかねてから円安に賛成で、好ましい傾向だと思っている。

しかし、世間では円安がどこまで進むのか不安視する声が多い。ではいったいどこまで進むのだろうか。

ここからは、個人投資家としての感覚でお話させてもらう。理論的な裏付けはなしである。しかし、言わせてもらえれば、為替が理論値通りになったことなどいまだかつてないのである。これはすべての金融商品について言えることで、相場が絡むと(=人間の心理が絡むと)理論通りにはならないのだ。実体経済と必ず時期的なずれが生じ、さらにはオーバーシュートが生じるのだ。

さて円安とは、円の価値が下がることである。株で言えば、最高値を付けた銘柄が下降局面に向かう流れになったということである。ではこの下降局面の流れはどこまで続くのだろうか。

わしのこれまでの経験では、少なくとも3分の1まで下げないと下げ止まらない。格言にいう「半値八掛け二割引」というやつである。

だから円の価値も最高値から3分の1になるまで下がっても不思議ではない。

円が最も価値が高くなったのは、2011年の1ドル=75円である。円の価値が3分の1まで下がるということは、単純計算で1ドル=225円である。

おそらくここまで下がって、ようやくすべての人が「いくらなんでも下げすぎ」という感覚になる。そこで明確に反転するだろう。以後、これ以上に下がることはなく、だらだらと200円近辺でふらふらし、やがて円高に戻る。

どのくらいで戻るのだろうか?

わしの経験ではおおむね下がった分と同じくらいの時間がかかる。円が最安値になるのは、いつになるのかわからないが、おそらくここ数年内であろう。最高値になった2011年を起点と考えて、仮に2年後の2026年に最安値になったとして、15年かかっている。だから、また15年後に円高のピークになると考えるのが妥当ではないか。そうすると、2041年である。

ここまで先になると、そのころ世間では円安心理が定着して、円高時代の感覚はまったくなくなっているんだろうな。

今後、日本経済はどうなるのであろうか。

通貨が高いときというのは、じつは不況のときである。不況というのはお金が回っていない、つまりお金が足りない状態だ。お金が少ないからお金の価値が高くなって、通貨も高くなるのである。したがって、これはまったくよろしい状態ではないのだ。2011年は東日本大震災が起こり、民主党政権下で株価も下がり、経済はひどい状態だった。だから円は最高値をつけたのだ。

好況になると、お金が回ってお金が十分にあるから、通貨の価値が下がる。だからいまの円安は、お金が回っている状態を表しているから、よろしいのである。(緩和的であるということである)。

円安の原因として、日本の国力、技術力の低下をあげる声も多い。

わしの感覚では、これは正しくない。日本経済が目覚めて、良くなったから、通貨が下がっているのである。

すでに日本経済は攻撃的なムードに転換している。投資をどんどん行うだろう。新しい技術にも果敢に挑戦するだろう。日本のあちこちにこれまでの常識を疑うような新しい姿勢があちこちに見える。

もうひとつよろしいのが、従来の日本では製造業などの物質的なものしか外国に輸出してこなかったし、できなかった。しかし、いまでは日本の文化は世界中で受け入れられている。これはどういうことかというと、普通の日本人の生活そのものが、魅力的で、商売になるということである。つまり、非常に多様な商売のネタがあるということである。それらは物質的でなく、無形のものが多くなる。これはとてもよろしいことである。

円安が進むと、海外の通貨が魅力的に見える。それを獲得しようと日本人は外に打って出るようになる。海外への移住も増えるだろう。ここ30年間、内向きだった日本人が、また外に目を向けるということである。外に目を向けるどころではない、熱視線を向けるようになる。なにしろ、なんであれ海外に持っていくだけで日本の何倍も儲かるのだから。

経済がよろしいのに、しばらくはずっと円安が続き、ますますお金がたまる。給料は、世界レベルに近づくために、いま以上に上がるだろう。もちろん株も上がる。

そうして、十分なお金をためたところで、円高になり、次の世代、ちょうどいま生まれた子どもたちは非常にいい思いをするだろう。

わしは日本の未来に楽観的だ。ぜひとも日銀、政府には緩和的な金融政策を続けてもらいたい。

まあ、心配があるとすると、地震かな。南海トラフのような壊滅的な地震が起きると、歴史的な潮目が変わる可能性がある。そのときに日本がどっちに向かうか、わからない。

https://stat.ameba.jp/user_images/20221023/23/worldhistory-univ/4a/d8/p/o3334191715192676169.png?caw=800

米ドル/日本円の為替レートの推移 より)

世界は経営でできている

岩尾俊兵 講談社 2024.1.20
読書日:2024.6.7

人生で起こることはすべて価値創造するという経営の思想で良くすることができると主張する本。

ここで取り上げられる人生の問題は、貧乏だったり、家庭のことだったり、恋愛だったり、勉強だったり、虚栄だったり、心労だったり、就活だったり、仕事だったりという人生で起こる様々な出来事なのであるが、対策は一貫している。

これらの問題はすべて何らかの管理をされないといけないのではあるが、著者は、これらは単なるマネジメントの問題ではないと主張している。つまり、ゼロサムの限りある資源を他人と奪い合うという発想ではだめで、パイを大きくするような新たな価値創造を行って、それを他人と分け合い、全体の幸福を高めるような発想がないとうまくいかないというのである。

例えば、虚栄の問題を取り上げると、お互いに虚勢を張ってマウントを取り合っても仕方がない、ここはお互いにいいところを褒め合うようにすれば、それは尊敬という新しい価値を創造したことになり、みんながよい暮らしができる、といった具合である。けっして、他人よりも儲かるとか良い暮らしができるとか、そういう他人と比較して優劣を争うような技法を伝授するものではないのである。

というようなことを、本人が新たに開発したという文体、「令和冷笑系文体」という特異な文体で書いているのだが、令和冷笑系文体ってなに? と聞かれても、実際に読んでいただかないとなんとも説明しにくい。「昭和軽薄体」(代表例:椎名誠)、という文体を令和に発展させたものなんだそうだけど、どうやら岩尾さんは、作家としても新しい文体の価値創造に貢献している……のかもしれない(笑)。

なぜこんな文体にこだわるのか。じつは本人はかつて文学を目指しており、新人賞に応募して結構いいところまで行った過去を持っているらしい。でも、それがうまくいかなくて、仕方なく経営学をやっているという、異色の経営学者なのだ。いまでも、文芸誌を購読していて、最近のトレンドの確認に余念がないんだそうだ。笑える。というわけで、文体にも独特のこだわりがあるらしい。

この本は、『日本企業はなぜ「強み」をすてるのか』がなかなか良かったので予約したんだけど、まったく異なる文体なので、本当に同一人物なのか、しばし疑いました。(苦笑)

★★★★☆

カーテンコール

筒井康隆 新潮社 2023.10.30
読書日:2024.6.4

筒井康隆の最後の短編集と言われているもの。

まあ、これが最後ということですので、読んでみたわけですが、これまでのいろんなパターンをとりあえず取り揃えてみました、という感じでしょうか。残念ながら、わくわくしながら読むようにはできておりません。

この辺が、筒井康隆の衰えなのか、それとも安易な方向に流れないという巨匠としての矜持なのかは分かりませんが。

昔からのファンが喜ぶようなことは、表題の「プレイバック」でしょうね。時をかける少女の芳山和子とか、唯野教授とか、富豪刑事の神戸大助とか、パプリカとかが病院にいる作者のところに挨拶に来る。これが唯一の読者サービスかな。

なんだか、ちょっと、さびしいなあ。みんな亡くなって、筒井康隆だけが残った感じ。豊田有恒はまだいるらしいけど。

わしとしては、これで最後とは言わず、どんどん書いていただければよいのではないかと思います。晩節は汚すためにある。そして読者はただそれを読めれば幸せだ。

★★★☆☆

うつ病 隠された真実 ―逃れるための本当の方法

ヨハン・ハリ 訳・山本規雄 作品社 2024.2.20
読書日:2024.5.30

うつ病に悩まされてきたジャーナリストのヨハン・ハリが、プロザックなどの抗うつ剤に科学的根拠はないという驚くべき事実を知り、近年のうつ病は社会的な原因によるものが増えており、その解決策は人の絆を回復させることだと主張する本。

ハリがうつ病について調べ始めたとき、シンプルな解答を求めていたんだそうだ。たとえば、最新の抗うつ剤の〇〇を飲めばオーケー、みたいな。ところが取材を始めていきなり抗うつ剤には科学的根拠がないという事実を知り、驚くのである。

プロザックなどの抗うつ剤で言われていることは次のようなことである。脳内でセロトニンという物質の量が減るとうつ状態になる。なのでセロトニンの吸収を阻害する薬(選択的セロトニン再取り込み阻害薬SSRI)を飲めば、セロトニンの量は減らず、うつは改善する、と。実にシンプルで明快な解答である。

ところが調査してみると、セロトニンの量がうつと関係するという科学的根拠はきわめて薄弱なんだそうだ。ここが間違っているとすると、そもそも抗うつ剤が効くはずがない。

ハリも驚いたそうだが、この話には、わしも驚いた。そんなことがあるのだろうか。

似たような話は最近、痴呆についても読んだ。脳内に蓄積するアミロイドβが痴呆と関係ない、という話である。

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こうしてみると、思っていた以上に、医学界では、お花畑みたいな仮説がまかり通っているようである。こんなに根拠薄弱な仮説が長年通用している医学は、本当に科学なのか、という気すらする。

ハリがうつについて調査を始めたのは、自身がうつに悩まされていたからである。そして、じつは著者のハリ自身が、長年、プロザックを服用してきて、プロザックには効果があったと実感している。彼だけではない。多くの患者もプロザックに救われたと感じている。では、これは何なのか。答えはプラセボ効果(偽薬が本当に効くこと)なのだという。

本当なのだろうか。薬として承認されるには、治験をおこなって、プラセボと比較して有意な効果が認められたからではないのか。

ところが、抗うつ剤の治験のデータを再確認してみると、その効果は比較対象の砂糖と比べて、ほとんど変わらないのである。あまりに効果の差が小さいので、プラセボのほうが効果があったというデータすらある。(もちろん、そのようなデータは承認申請には使われないのだが。)

じつは精神医学ではプラセボが非常によく効くのである。気分の問題だから、本人が効いたと思うと本当に効果があるのである。

こうして抗うつ剤は、最初はよく効いていても根拠がないのでじきに効かなくなる。そうすると、そのたびに服用量を増やしていき、それでも効かなくなると別の薬に変える、ということを繰り返す。実際にハリもその経過をたどっていったのだそうだ。

効果はプラセボでも、副作用は本物である。プロザックは太るという副作用がある。おかげでハリは、プロザックの服用で体重が100キロを超えたのだという。(なので、うつは治らない上に、太ることで健康を害してしまう可能性が高い)。

では、うつの本当の原因はなんなのだろうか。原因としては、生物学的、心理的、社会的な原因の3つがあるという。

生物学的原因というのは、先程の脳内化学物質や遺伝で説明できる部分である。セロトニンによる説明は根拠薄弱だとしても、化学的な均衡が崩れたからという理由はありえないことではない。遺伝というのも有意にうつと関係がありそうである。だから生物学的理由は確かにありえる。

心理学的原因というのは、たとえばトラウマである。子供の頃に虐待されてトラウマになるとうつになりやすい、などである。

社会的原因というのは、例えば孤独である。最近では、何でも話せる親友を一人も持っていないということが多い。このような人間関係が希薄になると、うつになることが多いという。

とまあ、そう聞いても、そんなの当たり前では?、と皆さん思いませんでしたか? わしはそう思った。

わしは医者に行くほど深刻なうつになったことがないのでよく知らないが、たぶん、日本の医者だと、患者がどういった環境で生活しているのか(家族とか仕事とかの情報)をいちおう確認するんじゃないだろうか。ひとりついてどのくらいの時間をかけるかは知らないけど、聞くことも仕事の中の大きな役割になっているのでは。最終的に抗うつ剤を出して終わらせるとしてもだ。話を聞いてあげるだけで良くなるという話はよく聞く。

ところが欧米の医者はそうではなさそうなのである。

患者の生活状況に全く関係なく、症状だけを見て処方するのだそうだ。話を聞くのはカウンセラーの仕事で、医者は関係ないということなのかもしれない。これでは真の原因を解決していることにならないのは当然である。

この辺は、西洋社会のもつ物質主義的な発想が顕著だ。違和感を感じるところである。

他にも違和感があったのは、たとえばこんな話のくだりだ。

職場で重責を担っている上司と、上司の言われたままに働いている何も考えなくていい部下のどちらがうつになりやすいかという話が出てくる。わしは即座に部下の方だと思った。言われたままに仕事をしているようでは精神的にいいはずがない。

ところが、ハリはこんなふうに話を進めるのだ。

皆さんは重責を担っている上司の方がストレスからうつになりやすいと思ったでしょう、でも実は部下の方なんです、自由裁量がないとうつになりやすいのです、云々。

なんといいましょうか、わしとこの著者ハリの間には、世の中に対する認識の出発点のずれがあまりに大きい。これはアジアとヨーロッパの違いなんだろうか。

ハリもその辺を認識しているようだ。ハリはアジアにも取材に行っていて、アジアとの感覚の違いを述べている。つまり西洋では全ては自分から始まり、まず自分を語ってから次に周りの社会を語る。しかし、アジアではまず集団を語り、次にそこにいる自分を語る。順番が逆だと。

このように、最初の認識については違うのですが、最終的に社会との絆を取り戻さなければいけないというのは、まあ、その通りだと思うのです。日本でも孤独が大きな問題になっているように。

社会との絆がうつに有効だという話の例として、たとえば、ある貧困地域の人たちが自分たちを追い出そうとする投資家に抗議をして、運動を起こした話が語られる。そのとき、ばらばらだった住民がはじめて団結したのだが、このときうつを抱えていた人たちの症状は改善したのだという。

あるいは、未来は何とかなるという希望が持てると、うつは改善する。たとえば、カナダで行われたベーシックインカムの実験では、ベーシックインカムによって得られた余裕で、人々の精神状態が改善した。

だから、わしは繰り返し申していますが、食料と住居と教育の無料化を進めることです。生きていく上で個人に過度の責任を押し付けているというのは、精神を病んでもしかたがない状況でしょう。

ひとが冒険を行うには、しっかりとしたベース(基地)が必要なのです。経済的にも精神的にも。

そもそも、うつとは何でしょうか。ハリの理解では、それは何かが間違っているという警報なんだそうです。生物として理にかなった「反応」であり、メッセージなんだそうです。うつが蔓延するというのは、社会が間違っている証拠なのです。

****メモ****
絆の再建方法(長い取材のはてにたどり着いたのがこの程度というのが、ちょっとびっくりだけど、一応載せておく)

(1)人と再び繋がる:落ち込んだときに、自分のために何かをするのではなく、他人のために何かする。
(2)社会的処方箋:人と何かを一緒にやるたくさんの種類のプログラムに参加する。
(3)意味ある仕事に再び繋がる:言われたままの仕事ではなく、従業員が自分の裁量を持つ、共同体のような仕事をする、またはそのような起業をする。
(4)意味ある価値観に再び繋がる:買い物をすれば幸せというような、物質的でジャンクな価値観から離れ、自分の心から湧き上がる内発的な価値観に耳を傾ける。
(5)”喜”、自己への依存症を乗り越える:他人の幸福に嫉妬するのではなく、他人の幸福を自分の幸福のように考える(たとえその人が嫌いな人であっても)。瞑想をして、自分中心ではなく(宇宙)全体とのつながりを回復する。(なお、サイケデリクス(幻覚剤)も専門家の補助があれば有用)。
(6)子供時代のトラウマを認め、乗り越える。
(7)未来を修復する:未来を思い描く力を取り戻す。(カナダでのベーシックインカムの実験の話)

★★★★☆

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