ヘタレ投資家ヘタレイヤンの読書録

個人投資家目線の読書録

新型コロナウイルスの影響をどう見るか(4)

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新型コロナウイルスは日本ではまだ蔓延中であるが、世界的には収束の方向が見えてきて、経済活動の再開を模索する動きである。

そういうわけで、AC(アフターコロナ)の世界がどうなるかということが議論されるようになってきた。ACの世界はBC(ビフォアーコロナ)と何か変わるんだろうか?

もちろん変わる。まだ漠然としている部分もあるが、次の部分だけははっきりしてきた。それは

世界的に反グローバリズム(=保護主義)が進む

ということである。

グローバリズムというのは、世界全体で経済を最適化するということである。したがってこれまであらゆる商品の製造は最も安いところ、便利なところに集中した。具体的には中国である。

ところがパンデミックのような危機的な状況において、その弱点が露呈した。どの国もマスクひとつまともに作れないことがはっきりしてしまった。これは非常にまずい状況である。そう誰もが実感した。

その結果、今後さまざまな産業を国内に戻そうという動きが広がる。すでに日本はその方向に予算を付けているが(国内回帰した企業に補助金を付けている)、日本だけでなくこれは世界中で行われるだろう。

国内に戻った産業はコストがかさむから、海外の企業に勝てないだろう。もともと勝てないから、海外に出たのだ。ということは、これらの産業は保護する必要がある。そのため関税はもちろん、さまざまな規制が動員されるだろう。一番簡単な方法は、すべての商品について、一定の割合を国内で調達することを義務づける法律ができるかもしれない。

さらには、海外生産についても、少なくとも一か国に集中しすべてをゆだねるということはなく、世界中に調達先、製造を分散することが意図的に行われるだろう。この場合は、特定の国(中国)を外すために、ブロック化が進行する可能性がある。

この結果どうなるだろうか。保護主義の結果、コストが上昇したり供給が減ったりして、商品が値上がりする可能性がある。これは今までだったら許されないことだった。しかしパンデミックを経験した後では、リスク管理の一環として、値上げが世間的に許容される可能性がある。インフレの復活だ。

これまで世界を悩ませていたのはデフレだった。パンデミックが進む直近も、巣ごもりと自粛による需要蒸発の影響でデフレが進む。だが中長期的には、保護主義により日本でも数パーセントのインフレが起きる可能性が出てきた。日銀の悲願である2%のインフレは、アフターコロナの世界で実現されるのかもしれない。

産業の国内回帰は労働者にとっては朗報だろう。単純に仕事が増えるからだ。さらには所得が増える可能性が高い。また少々の値上げなら許容されるのなら、企業にとっても朗報だろう。この結果、GDPは増える方向に働くだろう。

きわめて皮肉なことがだが、保護主義により国内産業は復活する可能性がある。これまで、新自由主義的な考え方でグローバル化が進められてきたが、その反対の政策により、目的が達成されるかもしれないわけだ。

こうした動きが世界中で起きるとすると、一番割を食うのは、もちろん中国である。中国の高成長ははっきりと終わりを告げることになりそうだ。今後は低成長に悩むことになるだろう。

この結果、中国がどうなるか予測するのは難しいが、少なくとも海外市場に期待できないなら、今以上に内需を開発しようということになるのではないだろうか。内需拡大は中国自身にとっても望ましいはずだ。だが、共産党にとっては、いよいよ統治の悩みは大きくなりそうだ。

すでに米国を中心に反グローバリズム、脱中国の動きはあった。だが、脱中国のスピードはコロナによって何倍にも加速されることになる。中国のフリーランチは明確に終わったのである。

 

 

アヘン王国潜入記

高野秀行 集英社 2007
読書日:2014年03月13日 08:22

高野秀行中毒なので、読みました。相変わらずやることがむちゃくちゃですごいです。90年代に単身でアヘンのゴールデントライアングルに潜入して、ケシの栽培を一通り経験するのですが、ついでにアヘン中毒も体験して、むちゃくちゃです。

それにしても英語、中国語、フランス語、タイ語、片言のビルマ語、現地のワ語を駆使して周囲とコミュニケーションを図るところがすばらしい。高野さん、正直に言ってそんなに頭脳優秀な人とは思えないんだけど、まあ、言語は体当たりで何とかなるってことでしょうか。すごいです。

この調子でどんどん高野本を読破していきたい。

★★★★★


【カラー版】アヘン王国潜入記 (集英社文庫)

図書館に電子図書を

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いつもブログを読んでいただき、ありがとうございます。

わしが読んだ本を紹介するこのブログですが、ほぼ全ての本は図書館から借りて読んでます。なので、新刊をいち早くレビューする、なんてわざは使えません。どんなに早くても出版されてから3か月ぐらい遅れてレビューしています。

昔はすべての本を買って読んでました。たぶん、1か月に1万円以上は軽く使っていたと思います。

ところが、2008年のリーマンショックのころ、わしが勤めている会社の業績が悪化し、いつリストラされてもおかしくない状態になりました。ボーナスはなくなり、給料もカットされました。

恐ろしいことに、その頃、妻は強硬にマンションを買うことを主張していました。妻はなかなかさばさばした性格なのですが、特定のいくつかのことに関しては強硬なひとでした。彼女によれば、マンションは買わねばなりませんでした。彼女にとって、世間の景気や家庭の経済状況はまったく関係なかったのです。

 

このような状況でマンションを買うなんて、ほとんど狂気の沙汰と思いましたが、妻の説得に失敗し(取り付く島がないんだもん)、リーマンショックで減った資産を泣く泣く処分して頭金を作り、マンションを買ったのです。

この状況が、わしに固定費の削減に向かわせました。図書代も削減することにし、代わりに図書館を利用することにしました。税金を払っているんですから、利用することに躊躇する理由はありません。

使ってみると、ネットで予約できる図書館は非常に便利でした。最寄り駅の近くのサービスカウンターで図書の受け取りができたのも、わざわざ図書館に行かずにすみ、便利でした。

味をしめたわしは、地元の図書館だけでなく、勤務地そばの図書館も利用するようになり、いまでは2つの図書館から週に平均2,3冊借りているわけです。

図書館を利用するようになってわしの読書は変わりました。読書量が劇的に増えたのです。

理由は貧乏性だからです(笑)。これまでは買った本を読まずに積読(つんどく)しておくことも多かったのですが、図書館は期限までに返さなくてはいけません。予約して順番待ちまでして手に入れた図書です。このままなにも読まずに返却することなんて、もったいなくてできません。こうして返却日までになんとか読もうと、がんばって時間を作って読むようになりました。

そのころから読んだ本の感想をメモにするようになりました。読書量が多くなり、自分でも何を読んでどんな内容だったか、訳が分からなくなったからです。持っていれば読み返せばいいのですが、図書館の本となると、もういちど借り出さなくてはいけません。しかも読んだことを忘れて同じ本を何度も借りることもありました。

最初は本当に短いメモ程度だったのですが、いろいろ考えながら書いているうちに、だんだん長くなっていきました。ブログに載せるようにしてからは、すきなだけ長く書くようになり、長くて申し訳ないなあ、と思うこともあります。

でも、仕方ありません。この読書録は他の人が読んでも分かるように書いているつもりですが、一義的には自分のために書いているのです。くせのある文体で、分かりにくい場合があると思いますが、それでも好きなように書きます。

さて、いまでは会社も安定し、わしの資産もアベノミクスの恩恵を受けて増加し、別に図書代を出してもまったく問題ないのですが、いまでは予約した本がつぎつぎ届くことにすっかり慣れてしまいました。I LOVE A LIBRARY. なのです。

というわけで、ようやく本題なのですが(笑)、わしが愛用している2つの図書館がどちらも4月6日の新型コロナの緊急事態宣言で休館となり、はや1か月です。

じつは偶然ですが、緊急事態宣言が出る前日に、予約していた本が大量に届いていたので、全部引き出しておきました。10冊ほどでした。テレワーク中はこれらの本を読んでいたのですが、そろそろそれも尽きようとしています。

というところに、5月4日の自粛延長です。自粛の中でも、図書館の貸し出し業務だけは再開をのぞんでいましたが、使っている2つの図書館も5月いっぱい休館延長になりました。とても悲しいです。

まあ、仕方がないので、しばらくは購入して読むことになろうかと思います。

ちなみに、図書館から紙の本を借りていてなんですが、わしは紙の本が大嫌いです。単純に重いし、かさばるからです。わしは紙の本と電子図書があれば、かならず電子図書を買います。読むときはタブレットではなしにスマホですね。文庫本とおなじくらいの大きさで、ちょうどいい大きさだからです。もちろん検索もできる利点も大きいです。

そういうわけで、このブログのアマゾンへのリンクは、基本的にkindle本のリンクになっています(笑)。電子書籍の普及を願っているのです。

さて、知っている人も多いと思いますが、図書館では電子図書も貸し出せるのです。アメリカでは電子図書の貸し出しは大いに普及しています。しかし、日本ではほとんど普及してません。数少ない例は八王子市立図書館ですね。そして電子図書だったらネットで完結し、感染に関係ありませんから、こういうコロナ自粛のときも普通に貸し出しできるのです。なんてうらやましい。

新型コロナで自粛してみたら、日本がいかにIT化に遅れているか、白日のもとにさらされました。世界に遅れないようにIT化を進める必要があります。図書館もそうです。これを機会にぜひ電子図書に予算を付けてほしいですね。

(2020.5.7)

 

21世紀の資本

トマ・ピケティ みすず書房 2014年12月9日
読書日:2015年06月01日

資本の増益率rと経済成長率gを比べると、歴史的にr>gの関係になっており、放っておくと資本が蓄積していき、一部の人間に富が集中することを、各国の納税記録などを丹念に調べて検証した本。

久しぶりに超面白い本を読んだ。歴史的に資本と経済成長の関係を確認したというのは素晴らしいです。

いままでまったく気にしたことはないが、成長率が低い方が富は蓄積されやすく、格差が広がるというのは、言われてみるまでは全く気が付かないことだった。(所得はGDPの成長率gにあわせて増えるから、成長率gがほぼ0なら、所得は利子rにまったく追いつけない)。

逆に言うと、資本さえあれば、特に人口が減って低成長率のような日本においては大いに生活を楽しめるということだ。資本さえあれば、だが。。。

そういうふうに考えると、バブル崩壊後の失われた20年の日本においてどうすればよかったかというと、資本を蓄えるような行動が正解だったのだ。

ご存じのように、実際は真逆の行動が取られた。経済は低成長に陥り、物価は下がるデフレに陥ったこの時、ほとんどの人がとった行動は、投資を行わず、ひたすら貯金をするということだった。デフレの場合、物価が下がるほど現金の価値が上がるから、ある意味これが最適の行動だったわけです。

しかし本当なら、投資を行うべきだった。低成長の時ほど、その利子の効果が大きくなるから。そうすれば、きっと資本の蓄積は急激に高まっていたでしょう。

だが、どこに投資すべきだったのか。バブル崩壊で株はこりごりと思った人は多かっただろうが、それは日本株だけの話で、おそらく外債、外国株、商品市場に投資すべきだったのだろう。そうすれば数%の利益をかなり手堅く得ることができ、資本の蓄積を行うことができたのではないか。つまり普通に国際分散投資をしていればよかったのだ。

そして、それは今でもそうなのだ。この本はマクロ的な全体の話をしているのだが、個人的な戦略でも正しいと言える。貯蓄から投資へというのは証券会社のお題目ではなく、本当にそうあるべきことなのだ。

ピケティは資本家に富が集まることを証明した。なので、平等化を進めるために累進課税や資産課税を主張している。しかし、個人がこれを読めば、皮肉にも資本家になれと言われているように読めるのではないだろうか。少なくとも、わしはそう思った。

★★★★★

 


21世紀の資本

 

しらふで生きる 大酒飲みの決断

町田康 幻冬舎 2019.11.5
読書日:2020.4.20

酒を断った作家がそのことについてぐだぐだといろんなことを述べた本。

わしは前から言っているように依存症に興味がある。主にギャンブル依存症に興味があるのだが、それは自分が株式市場が開くだけけでわくわくするような体質だからだ。そういう意味ではアルコール依存症とか薬物依存症は違う気がする。何しろ身体の中には何の化学物質も入れていないんだからな。

というわけで読む気になったのだが、この作者は大酒のみではあるが、アルコール依存症とは明言してない。が、たぶん近い存在なのだろう。酒飲みをやめた理由は、あるときそう決めたので、自分でもわからないと言っているが、きっとこのままではだめだと自分で判断したからと推察する。でも、なぜ断酒を始めたかもはっきりしないのだから、他のこともはっきりせず、ぐだぐだするばかりである。

断酒についてそんなに書くこともないだろうから、こうしたグダグダした文章になるのは分かる。だがこのグダグダした文章は、たまに少し読む程度には良いんだろうが、一冊まるごとこんな感じではなかなか読むのが厳しい。これは何かの雑誌に連載されていたようだ。まあ、雑誌の連載なら、読めるかもしれないなあ。

これを読みながらなぜか高野秀行のことを考えていた。高野秀行は、まあ、酒は我慢できないみたいだが、アヘンを自分で作って常用していたのにそれを断つこともできるんだからすごいなあ、と思う。

最後には、自意識というか自己認識というか人生観みたいなところで持っていかれて終わりました。断酒が続くことをお祈りいたします。

★★☆☆☆

 


しらふで生きる 大酒飲みの決断 (幻冬舎単行本)

なぜ人類のIQは上がり続けているのか? --人種、性別、老化と知能指数

ジェームズ・R・フリン 太田出版 2015年5月28日
読書日:2018年10月06日

人類のIQが毎年伸び続けていて、それは性別や人種に関係なくのびている。これをフリン効果というらしいが、フリンというのはこの本の著者である。これだけ技術社会になっているのだから、人間の学習が幼少のころからそっち方面に向かっているというのは理解できる。

人間のIQは歳を取っても伸ばすことができるところがあって、それは言語能力である。言語能力をさらに伸ばすことで、全体のIQも伸ばすことができる。ところが、それによって分析能力(知覚統合)の項目が下がってしまう。なぜかは分かっていない。もしかしたら脳の言語領域が伸びるにつれて、分析に使用する領域である前頭前野を侵食しているのかもしれない。

そういった負担はあるものの、歳を取ってからも言語能力を鍛えた方が、いいことがありそうだ。

この本はあまり読みやすくない。眠くなるような数字の話が続くので、適当に流し読みして、結論だけ読むのがいいと思う。

人類のIQの伸びていいことがあるかというと、特にそういう感じはしなかった。そういう時代だから、時代に合った項目が学習によって伸びているだけである。違う時代になったら、違う項目が伸びるのだろう。

★★★☆☆

 


なぜ人類のIQは上がり続けているのか? 人種、性別、老化と知能指数

平等は正しいのか 「暴力と不平等の人類史」読んで考えたこと

暴力と不平等の人類史」は興味深くて、いろいろ考えさせられた。ここでは本の中身というよりも、この本を読んで考えさせられたことを書く。必ずしも、この本の趣旨の通りではなく、自由に書きます。

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まず違和感を持ったのは、著者のシャイデルが平等は正義だと全く疑わずにいることだった。まるでこの点に関してだけは誰もが自分を支持してくれると確信しているかのような書き方だった。わしは全くそうは思わない。富に格差ができることを容認している。というか、自然とそうなると思っている。

その理由はシャイデルがこの本の中に書いた通りで、余剰が生まれるとそれは再投資され、それがさらに余剰を生み、そしてさらに再投資されるというサイクルが自然に回ってしまうからである。これがいわゆる資本主義というものである。

シャイデルはピケティの「21世紀の資本」に触発されてこの研究を行ったという。21世紀の資本は、資本の利子率rと経済成長率gを比較して、r>gであることを歴史的に実証した。資本の利子率rは富が増えるスピードを表し、gは所得が増えるスピードを表すから、放っておけば人々の給料が上がるよりもはやく富が成長することを示している。すると、富んでいるものはますます富み、富が少数者のところに集中することを示している。

ここで、富や所得が不平等だとして何が問題なのだろうか。

普通、頭に思い浮かぶのは、金持ちがいい服を着てご馳走を食べている横で貧乏人が飢えている状態であろう。まさしく貧乏人は生活に苦しく、生存を脅かされている状態だ。では、この貧乏人はどの程度お金を稼げれば満足だろうか。

行動経済学によれば、所得がそれ以上増えても幸福を感じなくなるポイントがあるという。現代の日本では、そのポイントは年収800万円ぐらいになるのだという。とすれば、800万円の収入があれば、それより多くの収入の人がいてもいても、いいなあ、とは思うだろうが、さほど屈辱を感じることもなく、まあいいか、と思える年収ということなのだろう。もしこのような人にお金持ちが「自分の年収は30億円だ」と言ったとしても、この人は、「だから?」と返事ができるだろう。

ついでに富もどのくらいあれば満足できるだろうか。ほとんどの人は、自分の家が持てるくらいが満足の基準ではないだろうか。そうすると、普通に快適な自分の家を持っていれば、大体の人は、お金持ちが「10億円の高層マンションに住んでいる」と言われても、「だから?」といえるのではないだろうか。

そうすると、問題は富が一部の人に集中していることではないように思える。富が集中していてもかまわない。誰もが十分に持ち、その富豪に、「だから?」と言えることが大切なのだ。

わしが目指すべきだと思うのはそういう世界だ。金持ちがいてもいいし、お金を稼ぎたいひとはどんどん稼いでもいい。だが、誰もがそれに「だから?」と言える世界だ。そういう状態が、お金や富に囚われない生き方ができる世界だ。つまりこれは富豪であることの魅力を減らす戦略なのだ。

それを実現するにはベーシックインカム的な方法しかいまは思いつかない。所得のかなりの部分をあらかじめ配分してしまう。そして、家のなどは戦略的に個人に与えてしまう。ベーシックインカムにより大量にマネーを供給してもインフレを起こさないように、需要を上回る商品の大量供給を行い、さらに利子率も低く保つ必要があるだろう。このようなことを実現する新しい経済学が求められるのではないだろうか。(MMTが今のところこの目標に一番近いように思える)。

そうすると富豪の富はどこに向かうのだろうか。いま一番考えられるのは、その富は長寿命化への投資に向けられるだろうということだ。何らかの技術で150歳くらいに寿命を延ばすことができ、それが高価であり、富豪しかそれを使えないとすると、新たな格差が富豪と貧乏人の間に誕生するだろう。

だが、それが技術である限り、それはいつの日か万人にいきわたることになるだろう。このように富豪には新しい未来を切り開くことに投資してもらえればいいのだ。このような技術開発にはある程度富の集中が必要だ。

と、いうような未来が求められていると思うので、シャイデルのような、全員の貧乏化による平等を考えることにいったいなんの意味があるのだろうか、と思ってしまうのである。

貧乏でも全員が平等の方がましだ、というのなら別だが、きっとそれは目指す未来じゃないだろう。

 


暴力と不平等の人類史―戦争・革命・崩壊・疫病

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